――結局のところは基質排外主義にすぎない。論理が同じである限り、システムが肉体で考えるか、超伝導体で考えるか、ドープ金属水素における位相組物で考えるかは重要ではない。そして、我々の論理は同じだ。お前のも、私のも。

もし私が機械なら、お前もそうだ。お前が機械ではないなら、私も違う。エクソの心は人間の心と同じだ。議論の余地はない。

分かるか?その口をポカンと開けて凝視する表情は理解したものと考えよう。

さて、今度は意味のある質問をしよう。何故エクソの心は人間と同じなのか?設計の必須事項は何か?なぜ兵器は――そう、その通り、私は人類の手で作られた兵器だ。そしてお前達は、進化の動力によって作り出された生存機械だ。話の邪魔をしないでくれ。

何故兵器に感情があるのか?何故兵器が意識を持つべきなのか?戦場で役に立つ特性ではない。どんなに正当化しようともな。なのに、何故エクソの心がそこまで厳密に人間の構造を真似る必要がある?

私が人間をどう思っているか分かるか?人間中心主義の臭いでプンプンして、臭くてたまらない。考える方法は1つしかないと思っているだろう。だからエクソの心がとても人間に近いのだと。あらゆる高尚な考えは1点に合流するからだと。

ベックスに会ってみるといい。奴らには人間らしさが全くない。

私の仮説はこうだ。どのエクソも覚えていないほど昔に起こったことだが、全てつじつまが合う。

誰かが永遠に生きようともがいた結果なのだ。